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東京芸能人国民健康保険組合はこうして生まれました

1.組合設立の発端

 芸能人はどちらかといえば不健康な業務に身体を酷使するものであり、一度病に倒れた人たちは不安定で惨めな生活状態となります。五十数年前、仲間の病を見るに見かねた山田五十鈴さん(女優)たちが、まず芸能人のための病院をつくりたいと考えました。そして山田さんが笠置シヅ子さん(歌手)、西崎緑さん(舞踊家)、徳川夢声さん(漫談家)、山本嘉次郎さん(映画監督)らに相談しましたが、大金を要すること、利用できる地域が限られるなどの壁があり、病院建設は実現できませんでした。
 この窮状に、社会的な措置・対策が講じられないなら、芸能人自らの手で共存共栄を図る以外に途はないと考え、それならば健康保険組合はどうか、との案が出されたのが、組合設立への発端となりました。

2.困難を乗り越えて

 昭和27年4月、今では想像もつかない古ぼけた焼け残りの建物(有楽町ピカデリー劇場)4階の日本映画監督協会の事務所に、前述の方々をはじめ各界から72名が顔をそろえ、発起人会が開催されました。ここでとにかく幅広い分野に呼びかけて同意書を求めようということになりましたが、運動資金もなく、また現在のように健康保険への理解もなく、保険屋さんと間違われるなど大変な苦労がありました。
 創立費用は、まず藤田俊一さんが「発起人が自腹を切って割り勘でいこうじゃないか」と述べられ自ら出資され、すぐに賛同された徳川夢声さん、山本嘉次郎さん、山田五十鈴さん、西崎緑さん、笠置シズ子さんのほか俳優座、民芸、文学座が出資され、その出資金をもとに、どうにか組合設立への目処がつきました。  

3.設立認可・事業開始

 半年間の苦労が実って、設立認可を受けるだけの人数もなんとかまとまりました。昭和27年9月30日設立発起人会を銀座「耕一路」で開催する段取りとなり、東京都の指導も受け、規約等も定め、同年11月10日、警察職員家族、消防職員家族、全国土木建築、理容、臨床看護婦国保組合に次いで都内6番目の特別国保組合として設立認可を受け、11月15日に晴れて事業開始となりました。なお、その当時から都内で現存している組合は、東京理容、全国土木建築の二国保組合があるのみです。
 これは芸能史上特筆すべきことであり、以降、他の各種職域団体が後に続き、当時だけでも17団体が認可を得て、さらに国民皆保険制度へと進展していったのです。誇りとすべき先駆的役割を担ったといえるでしょう。

4.芸能人自身の力によってできた組合

 創ることは意思だけではできません。徳川夢声さんや山本嘉次郎さんは当時NHKラジオの“とんち教室”の出演料をそっくり寄付し、山田五十鈴さん、西崎緑さん、笠置シヅ子さんらと民芸、俳優座、文学座などからも寄付が寄せられました。文字どおり芸能人による芸能人の組合ができたといえます。これは、次のことばでも明らかです。
 第一回組合会で、藤田俊一議長(邦楽家)が「この組合は官憲の力でできたものでなく、まったく芸能人の力によってできたものであり、芸能人の協力によって発展するものです…」、また徳川初代理事長が「何よりも1人ひとりの組合員の協力が大切、官公庁や大会社の組合と違ってこれはバラバラな芸能人の組合である。それが芸能人個々の目覚めによって盛り上がってできた大組織である。天下りの組合ではなく、盛り上がりの組合である。だからこれが巧く成功すれば最も強力な組合となる。そのかわり盛り上がる力がチグハグになると最も弱体な組合になるのである…」、まさに迫真の言葉であり、現在にも相通じるものでもあります。

5.設立その後

 設立したものの経営の不慣れもあり、厳しい状況が続きましたが、ようやく昭和30年度決算で初めて赤字が解消されました。被保険者数は設立時の2,712人が昭和34年には1万人を突破したものの、54年には最低の4,344人まで落ち込みました。しかし現在は11,000人まで回復したのです。昭和43年に組合員・家族とも7割給付を実現、51年には他に先駆けて保険料算定に所得割制を導入、62年4月には事務処理にコンピューターを導入、今日に至っております。いずれにしろ、設立にご苦労された先人の意思を継ぎ、健全運営を確保し、さらに組合を発展させることが我々の使命であることを肝に銘じる必要があると思います。

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